怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

結局セーフティネットは存在しないのか?

宅間守の存在を知ったのは、小学五年生の時である。当時の担任が大阪教育大学の附属小学校に刃物を持った男が侵入し、児童や教諭を刃物で襲撃したと言っていた。それを聞いた後、インターネットで、宅間守のことを色々と調べたりした。すると、宅間守の資料館なるものを発見し、当時のクラスの同級生たちとそれを閲覧していた記憶が今でも鮮明に残っている。

宅間守の死刑執行は自然淘汰であると思う。彼は社会の中でやっていける人間ではなかったからこそ、結果として死刑になってしまったのだ。彼の経歴を振り返ってみてもそのことはよくわかる。彼の経歴を振り返ってみると、幼少の頃から池田小事件に至るまでに数々の犯罪を行っている。その多くは暴行や強姦、器物破損など凶悪な犯罪ばかりである。こうした点からいって彼は社会の中で周りの人間と上手くコミュニケーションをとりながら生きて行くことが困難な人間であり、社会の中で他人と共に生活していくことができなかった。それが結果として例の池田小事件に繋がっている。

こうした人をどうするべきなのか。どこかの施設に保護して身動きを取れないようにしておくべきなのか。そうすればこうした事件の発生を防ぐことはできるのだろうか。現状、他人に危害を加える恐れのある人を保護するための施設として、精神病院と呼ばれる施設がある。ここへ閉じ込めて身柄を拘束しておけば、自由に身動きが取れなくなるので、他人に対して危害を及ぼすことはなくなる。しかし、簡単に入院させることは困難で、本人の同意が必要なケースもある。また、身柄を拘束したとしても周囲の目を盗んで脱走を図ることも不可能ではない。実際に宅間氏もそれを試みて脱走に成功している(自殺未遂に終わったが)。こうしたことから周りに迷惑を掛ける人間あるいは、迷惑を掛けそうな人間を閉じ込めておく施設は現状としてない。また、あるにはあるにしてもセキュリティの面などから十分に機能しているとは言えない。

こういう人たちが社会の中で他人とどうやって共存していくかというのはとても難しい問題であるが、自分としては周りに迷惑を掛ける人間をどこかの施設に収容しておくのがいいと思う。社会の中で周りと共存するのが難しい人間をどこかの施設にまとめて収容しておき、人々の暮らしをきっぱりと二分化する。こうした考えは優勢思想に繋がるとして周りからバッシングを食らうのは至極当然だが、きちんと棲み分けをすることで社会秩序が平和に保たれ、みなが安心して生活できると思う。ただし、施設に追放された人を劣った人間とみなさないことが大前提ではあるが。

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