怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

サイコパスと健常者は紙一重

サイコパスの特徴は、一見誰の目にも普通に見えるけれど、心の中は冷え冷えとしている人間であると言われている。そうした二面性を持っていて、普段の生活においては社会に適応した健全な人間である部分を前面に押し出していれば、精神科医ですらその存在を確実に見抜くことはできない。ましてや一般人では尚のことそうである。

サイコパスといっても、その生態を一括りにして語ることはできず、サイコパスには二種類のタイプが存在する。

  1. 誰もが真っ先に想像する凶悪犯罪者や猟奇的な犯罪者
  2. 経営者や医者、弁護士といった比較的社会的地位の高い人たち

世の人々は前者の人々を典型的なサイコパスと捉えていて、後者の人々をサイコパスとは考えていない。それは犯罪のタイプと世間に与えるインパクトの違いにある。イメージの面からいうと、横領や詐欺よりも大量に人を殺害したり、猟奇的な犯罪を犯した人の方が世間に与えるインパクトは大きい。横領や詐欺を働いても、世間の人々はなーんだ横領したのね、詐欺をしたのね、でコメントが終わってしまうが、大量殺人や連続殺人の場合だと、被告人に対して凶悪な人間、恐ろしい人間、殺人鬼などの負のイメージを頭の中に増幅させてしまいやすい。こうしたインパクトの違いから後者の人々をサイコパスとは捉えずに、前者の人々のみをサイコパスと捉えているところがあるのではないかと思う。

しかし、筆者によると、両者は共に紛れもないサイコパスなのだという。サイコパスの性質が良い方向に左右しているのか、悪い方向に左右しているか、あるいは社会適応に役立てているか、そうでないかによって両者はそれぞれ全く別の方向に向かって生活していくのだという。

サイコパスの定義によれば、サイコパスとは、精神病質(せいしんびょうしつ、英: psychopathy)またはサイコパシーとは、精神障害の一種であり、社会に適応することが難しい恒常的なパーソナリティ障害[1]。精神病(妄想・幻覚・乱雑な思考と発語・非現実的で奇妙な行動などの症状)[2]と健常との中間状態[3][注 1]。精神病質を「人格障害」(パーソナリティ障害)の同義語・類義語としている精神医学論文や日本語辞典もある[4][5][注 2]。(引用:Wikipedia)

政策科学博士の緒方あゆみ[7]の論文によると、現代の精神病質者に対する精神鑑定では、医学者・精神科医クレッチマーの方法論が用いられている[8]。クレッチマーいわく「精神病者、精神病質者〔サイコパス〕、正常人」という三者を断定的に区別できる指標は存在せず、これら三者は「相互に移行しあうもの」である[9]。(引用:Wikipedia)

この定義からすれば、後者の人々をサイコパスと扱うのは無理があるのではないかと思う。というのも、人に直接危害を加えているわけでもなく、普通に社会に適応してつつがなく生活しているからだ。これがもし前者の人々のように、社会や他人に直接危害を加えて、社会秩序や平和維持に悪影響をもたらしているのであれば、それは立派なサイコパスである。これは誰もが異論なしに認めることであろう。しかし、直接暴力行為などを働いて社会や他人に危害を及ぼすわけでもないのであれば、それはサイコパスとはいえないのではないか。別に社会や他人を振り回す人間ではないのだから。上で引用した緒方あゆみ氏の文章にも、精神病者、精神病質者〔サイコパス〕、正常人という三者を断定的に区別できる指標は存在しないとある。だから、こうしてみると、サイコパスの線引きというのは結構難しくて、スペクトラム上の特徴を持つのがサイコパスである。つまり、健常者にも程度の差こそあれ、サイコパス的な部分が存在する。それが社会生活において強く出ているか、そうでないかの違いでしかない。こうした事情が根底にあるわけだから、自分が気づいていないだけで、自分の周りにも案外サイコパスと呼べる人たちがいるのかもしれない。

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