怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

無職になれば何でも好きなことができるわけではないという話

普段、仕事に追われていると、やりたいことをやる時間がない。色々とやりたいことはあるのだけど、時間がないからそれができない。あーあ、仕事さえ辞めれば時間が山のようにできるから自分のやりたいことに最大限に時間を使えるのに、とヒトは屡々考える。

しかし、本当に時間がないことが問題なのだろうか。時間がない中でもスケジュール管理やタスク管理をうまく行うことで、やりたいことに時間を費やす時間を捻出している人もいる。

現代人の多くは、どこかの会社に所属して会社員として働いている。会社員は会社に所属し、雇用契約によって定められているスケジュールに沿って行動する。就業時間や休憩時間、シフト、上司からの指示などが自分を縛り付け、ガチガチに拘束する。要するに外的要因の強大な力によって自分の行動がコントロールされており、それに自分を合わせていくしかない。それはすなわち外的要因が与えた何らかの基準に沿って行動していれば、自分の頭で物事を考えなくて済むということでもある。なので、会社が自分に与えたルール以外の範囲で、好きなように時間を費やしていく。

一方、無職の場合、そうした強い外的要因の力は働かない。無職の生活には雇用契約もなければ上司や同僚もいない。なので、自分の好きなように時間を使うことができる。好きなように時間を費やすことができるということは、裏を返せば、時間を良い方にも悪い方にも使うことができるということ。例えば、会社員として働かずに無職の状態でいるとする。無職は時間が膨大に余っているので、好きなように時間が使えると考えられがちだが、自制心や自律心、スケジュール管理能力がなければ、その時間を有効に使うことはできない。ただただ膨大な時間を使えなくなった油のように消費していくだけである。たまには仕事をやめて無職になれば、自分のやりたいことが全てできる、自分のやりたいことに時間を費やせると言う意見もでるが、それは前で述べたような能力を持っている場合に限られる。こうした能力に乏しければ、時間を有効に使えずに灰のごとく浪費していくだけである。だから、無職になれば好きなことができて生活が充実するとは言えない。むしろ自分の生活や行動をうまくコントロールすることができなければ、生活がダメになる。

結局のところ、やりたいことができるかどうかは働いているかどうかが問題なのではなく、自分をコントロールする力があるかどうかにかかっているのである。

働いているからやりたいことができないというわけではないのである。

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。