怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

空っぽの世界の中で

気づいた時には外の世界に関心が向かなくなっていた。自然に行動するということが一切できなくなった。洋服屋に入って様々な物を見ても、本屋へ行っていろいろな本を見ても、自分の心の中が変化して何かを求めることがない。自分の内側から情動や願望、欲求などが湧いてきて、それらに従って行動することができなくなった。自分がそうした状態でいるのは、自分にとって外的世界が意味のあるものでなくなったからではないか。外界(人生)を喪失したとなると、この世界に存在するすべてのものが自分にとって必要のないものとなる。というのも、人間が生きる上で必要なものはすべて外界の中に存在するからだ。だからそれを喪えば、身の回りにあるものが、自分にとって意味や価値を持たなくなる。だからこそ、そうしたものを追い求める必要性すら自分はなくなったのではないだろうかと思われる。

また、自分が生活自体を必要としていないから物を選ぶことや何処かへ行くことに困難さを抱えているところもあるだろうと思われる。これもよくよく考えてみると、モノを必要としたり様々なことに関心を向けたりしないのは、生きる上でやらなければならない行為のすべてが自分にとって必要のないものであるところが大きいような気がしている。生きる上でやらなければならないことは沢山あって、その筆頭が食事や睡眠、排せつ、仕事、勉強、買い物などである。しかしそのどれもが自分にとって必要のある行為ではない。これは自分の生存欲求が弱いことから来るのかどうかもよく分からない。そもそも何が原因で今の状態になっているかも不明なままである。

外の世界が丸ごと失われ、自分にとって意味のあるものや自分の生活を助けるものでなくなった時、自分がこの世界にとどまっている必要性はなくなる。寿命を引き延ばす必要性もなくなる。中身がすっぽりと抜け落ちた世界の中で、あらゆるものが自分にとって不要になったにもかかわらず、それらが必要であるかのように思い込ませることで生活を成り立たせていくしかない。今後も自分をごまかしながら生活を続けていくしかない。

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