怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

漫画「リアル」

身体障害者によるバスケットボール漫画。身体障害者は体の一部にハンデを抱えているマイノリティだが、そうした状況にあっても前向きに物事に取り組んでいる姿勢は周囲の人間にプラスの影響を与える。生活する上でハンデを抱えていても目標に向かって努力する姿勢は尊い。人はそうした姿勢に感化されて自分も頑張らねばと襟を正すのだ。

過酷な状況にあっても前向きに物事に取り組む大切さを伝えている漫画。

保管方法に対して懊悩中

前回は調理の時間を短縮するために、まとめて作り置きしておく案を紹介したが、せっかく大量の食事を作っても肝心の保管場所を確保できなければ意味がない。うちには一応冷蔵庫があるが、これは言わばミニ冷蔵庫と呼べるもので、大容量のものを保管しておくのには向かない。だからといってこれとは別に新しい冷蔵庫を買うのも違う。新しい家電の購入に費用はかけたくない。だけど、大量に作った食事やカットした食材を保管しておけるスペースのあるものが欲しい。何かいいアイデアはないものか。今のところ思いついている考えとしては、100均で買った保冷バッグに、大量の保冷剤と作り置きした食事や食材を敷き詰めるというアイデアだが、保冷時間が長続きしないのがマイナス点。いったいどうするのがいいのやら。

作り置きの効能

一回一回キッチンに立って食事を作るのは面倒なので、今週の昼食分の食事を、前週の休日にまとめて作っている。これによりキッチンに立つ回数を減らすことができるので、調理に長い時間を掛けなくて済む。おかげさまで調理に時間を掛けなかった分、いくらか他のことに時間を費やすことができている。前々から調理に掛ける時間を減らしたいと考えていたので、今回このやり方で調理をしてみて良かった。しばらくはこのやり方で調理を行い、他に効果的な方策が見つかれば、そちらのやり方に変更してみようと思う。

鱈大根

油淋鶏(これは大失敗)

豆腐と油揚げとわかめの味噌汁

回鍋肉

犯罪を防ぐことの難しさ

宅間守 「精神鑑定書」を読むを読んで考えたこと

  • 犯罪を防ぐことはできるか 

犯罪を簡単に防ぐことはできない。これまで前科があって、再犯しそうな人であれば、何らかの対処法があるのかもしれないが、これまで犯罪歴がなく、問題行動を取ることと無縁の人であれば、対処のしようもない。そのため、事前に対策を講じることができないので、どうしても事件が起きてしまうことは致し方ない。そう考えていくと、犯罪というのはどうしても生じてしまうものであり、それが起こるのが当然なものとして生活していくしかない。

では、問題行動を頻繁に起こしていたケースはどうだろうか。彼らを要注意人物として定め、彼らの行動を監視することで、犯罪を抑制することはできるのかもしれない。しかし、四六時中彼らの行動を監視することは現実的にいって不可能であるから、これまた防ぎようがない。だから、最終的な手段として、刑務所に収容しておくか、精神病院に収容しておくかのいずれかの選択を取って対処しているのが現状である。

法律を厳罰化するとの考えもあるが、それはあまり効果的な策ではないと考えている。どれだけ法律を厳罰化しても犯罪を犯す人は一定数いるわけで、そうした人たちは不利益になると分かっていても平気で犯罪を犯すので、法律を厳罰化することは根本的な問題の解決にはならないといえる

  • 犯罪を起こす人たちの居場所をどうするか

これについて具体的な考えを明示することはとても難しい。何か問題があったら、精神病院なり警察なりに相談して精神病院へ閉じ込めておくと考える人もいるが、精神病院への入院は本人の同意が必要なケースも多い。特にそれほど激しい問題行動でない場合、そうした施設に収容しておくことはとても難しい。犯罪を犯して懲役を受け、一定年数刑務所に収容されることになっても、懲役年数に達すれば社会に復帰することになる。余程、重大かつ悪質な犯罪でない限り、いつまでも被告人を刑務所に閉じ込めておくことはできないのだ。

犯罪をどうすれば防げるのかを考えていくと、それを防ぐことは難しいと言わざるをえない。一定の人たちが犯罪を犯すことは仕方のないことだと頭の中に入れておいて、社会を回していくのが、今考えられる社会のあり方である。

心に悪を持つ人に対する処方箋はない

宅間守の母親は、宅間守が出産したときに、「あかんわ、これ、堕ろしたいねん私。あかんねん絶対」と父親に語っていたそうだ。生まれたての赤ん坊は言葉を理解する力に乏しく、赤の他人の表情を読み取ってその時抱いた感情を言語化することは難しい。たしかに言葉を理解することができないといっても、彼の経歴を振り返ってみると、数々の問題行動ばかりが散見される。こうした問題行動は、出産と同時に生まれたのではないかとする考え方もできなくはない。母親の自分に対する感情の抱き方や接し方が、宅間氏の人格を歪ませた要因の一つになっているのではないかと。何しろこの世で初めて出会う人間は母親にほかならず、母親との交流を通して赤ん坊は自己をを確立させていく。その最初のスタートラインである出産時に、実の母親からこのような酷い言葉を浴びせられれば、彼の心の中に悪魔が棲息してしまったと考えるのは何らおかしなことではない。

両親による宅間氏への態度はどこか他人事で、投げやりであり、彼自身に問題があるとしか考えていないように見受けられる。そして、数々の犯罪行為を働いていたにもかかわらず、それを重く受け止めるわけでもなく、それを黙殺していたことが、後のあの凄惨な池田小事件に繋がっているのではないかと私には思えた。宅間氏は本来保護されるべき人間で、社会に解き放ってはいけない人間だったが、こうした人間を収容しておく施設は現代には存在しない。精神病院や刑務所が一応その役割を果たしてはいるが、医療保護入院や措置入院を除き、本人の同意なしに精神病院に入院させることはできない。本人が入院したくないと言えば、入院を拒否することはできるのだ。刑務所に閉じ込めておくにしても、何らかの犯罪を行っている必要がある。つまり、精神病院への入院にしても、刑務所への拘禁にしても、何らかの重大な事件を引き起こしている必要がある。そしてその犯罪事件というのは、軽微なモノでなく、行き過ぎた重大な行為である必要がある。なお、重大な事件が引き起こされるということは、その被害に遭う人が必ず存在するということ。つまり、第三者が被害にでも合わない限り、こうした人たちの身柄を拘束しておくことはできない。

今回は池田小事件が起こってしまったが、もしあの事件が起こらなかったとしても、近い将来、宅間氏は凶悪な犯罪を犯していた可能性が十分にある。結局、こうした人たちの暴走を止めることはできないのだ。法律を厳格化して行動を抑制することはその対応策の一つではあるが、それも限界がある。だから、結局社会にできるのは、宅間氏のような犯罪者が社会に一定数存在することを前提にして社会生活を送っていく必要があるということ。以前、松本人志氏が、引きこもりが事件を引き起こしたときに、「こういう遺伝子のエラーというものは一定数発生する」といっていたが、まさにその通りで、いつの時代にも凶悪な人間が一定数存在するのだ。本人もなりたくてそうなったわけではないだろうし、人生においてそうした行動を引き起こす運命として生を享けてしまった。法律によって行動をコントロールすることにも限界がある以上、そうした人たちが存在することを受け止めて生活していくほかはないのである。

結局セーフティネットは存在しないのか?

宅間守の存在を知ったのは、小学五年生の時である。当時の担任が大阪教育大学の附属小学校に刃物を持った男が侵入し、児童や教諭を刃物で襲撃したと言っていた。それを聞いた後、インターネットで、宅間守のことを色々と調べたりした。すると、宅間守の資料館なるものを発見し、当時のクラスの同級生たちとそれを閲覧していた記憶が今でも鮮明に残っている。

宅間守の死刑執行は自然淘汰であると思う。彼は社会の中でやっていける人間ではなかったからこそ、結果として死刑になってしまったのだ。彼の経歴を振り返ってみてもそのことはよくわかる。彼の経歴を振り返ってみると、幼少の頃から池田小事件に至るまでに数々の犯罪を行っている。その多くは暴行や強姦、器物破損など凶悪な犯罪ばかりである。こうした点からいって彼は社会の中で周りの人間と上手くコミュニケーションをとりながら生きて行くことが困難な人間であり、社会の中で他人と共に生活していくことができなかった。それが結果として例の池田小事件に繋がっている。

こうした人をどうするべきなのか。どこかの施設に保護して身動きを取れないようにしておくべきなのか。そうすればこうした事件の発生を防ぐことはできるのだろうか。現状、他人に危害を加える恐れのある人を保護するための施設として、精神病院と呼ばれる施設がある。ここへ閉じ込めて身柄を拘束しておけば、自由に身動きが取れなくなるので、他人に対して危害を及ぼすことはなくなる。しかし、簡単に入院させることは困難で、本人の同意が必要なケースもある。また、身柄を拘束したとしても周囲の目を盗んで脱走を図ることも不可能ではない。実際に宅間氏もそれを試みて脱走に成功している(自殺未遂に終わったが)。こうしたことから周りに迷惑を掛ける人間あるいは、迷惑を掛けそうな人間を閉じ込めておく施設は現状としてない。また、あるにはあるにしてもセキュリティの面などから十分に機能しているとは言えない。

こういう人たちが社会の中で他人とどうやって共存していくかというのはとても難しい問題であるが、自分としては周りに迷惑を掛ける人間をどこかの施設に収容しておくのがいいと思う。社会の中で周りと共存するのが難しい人間をどこかの施設にまとめて収容しておき、人々の暮らしをきっぱりと二分化する。こうした考えは優勢思想に繋がるとして周りからバッシングを食らうのは至極当然だが、きちんと棲み分けをすることで社会秩序が平和に保たれ、みなが安心して生活できると思う。ただし、施設に追放された人を劣った人間とみなさないことが大前提ではあるが。

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暴力の解剖学

反社会的な行動を取る人の要因を脳の構造や遺伝子の観点から紐解いていく書籍。

結論から言うと、犯罪に関する遺伝子というのは存在する。本書によると、反社会的な行動は脳の一部の領域の働きや遺伝子の影響を受けて引き起こされることが分かっている。性善説の考えをお持ちの人は信じたくないかもしれないが、犯罪を起こす可能性の高い遺伝子というものは紛れもなく存在し、そこに恵まれない環境要因が加わることで反社会的な行動、なかでも暴力的な行動が発生する。

犯罪と関係のある要因としては、神経伝達物質の働き(セロトニンやドーパミンの高低)実の両親が犯罪者である場合、染色体異常(XYY症候群)、前頭葉の損傷、低IQ 、学習障害などがある。しかし、犯罪に関係のある遺伝子や脳の構造であるからといってすべての人が反社会的な行動を引き起こすわけではない。そこに恵まれない環境要因が加わることで、反社会的な行動が引き起こされる。ということは、環境に恵まれていれば、犯罪が発生しない可能性は十分にある。しかし、そもそも犯罪に関係する遺伝子や脳の構造を持っている人は、社会的環境にも恵まれない傾向にあるのではないかと思う。それが結果として、犯罪の発生に繋がっている。

というのも現代社会というのは、社会にとって都合の良い人材であることを求めている。現代社会は、学校のテストの点数やスポーツテストの順位など、目に見える点数や順位によって人を評価する。そうした評価基準を用いて人を評価するのであるから、犯罪と関わりのある特徴を持っている人(低IQや学習障害、脳の機能不全、認知のゆがみ等)はそれだけ周りから不遇な扱いを受けやすくなる。そうすると、自己肯定感を育むことが難しくなり、フラストレーションばかりが蓄積されていって、不満が他人へと向けられてしまう。そうした経験が積み重なった結果、社会や他人への反発として法律や倫理に背くような行動を平気で取るようになる。

こういう人に対してどのような言葉を投げかけてあげればよいのか、また、社会はどう対処していけばいいのか。犯罪を起こしうる遺伝子を持っていたとしても、それは個人にはどうしようもないことである。ましてやその遺伝子を受け継ぐかどうかの選択権を本人は持てないし、自ら自分好みの遺伝子を選択することもできない。すべては「運」の一言で片づけられる。こうした本人の意思によってどうすることもできないことを、本人だけのせいにするのもある意味酷なことである。

全員が同じ性質や能力を持つ個体ではないのに、全員に対して画一的な教育をして社会に適応するように要求することが、こうした人間を生み出している側面があるように思う。したがって、こうした人たちが存在することを前提として教育制度や社会制度を見直す必要があると思うが、現代の社会にそれを期待するのは些か難しい話なのかもしれない。

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