怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

感情機能に対する違和感

これまで散々感情機能の働きについて述べてきたが、感情を出すことは自分にとって大きな問題である。というのもそれは社会の中で感情を出すことが重視されているからに他ならず、もし感情を出すことがそれほど重視されていないのであれば、こんなに頭を悩ませることもないからだ。

自分は、感情を出せないことそれ自体を問題としているのではない。問題は、感情を出すことが要求される場面で感情を出せないことにある。

自分は感情が正常に働いていないと常々感じている。他人から感情を向けられた時に、その場にふさわしい感情が自然に自分の内側から湧いてきて、それがナチュラルな形で表出されない。自分の感情器官のセンサーが鈍いというか、外的刺激を受けてそこの部分がうまく機能していないと感じる。けれども、これまでの人生経験から人とコミュニケーションを取る際に、感情を出す必要があることは十分よく知っているので、どのような手段であれその場に相応しい感情を用意する必要がある。そこで、過去の記憶を思い出してその場にふさわしい感情を人工的に作り出すのであるが、それはあくまで自分で用意したものにすぎず、相手から感情を向けられることで生じたものではないから情緒的には相手と結びついておらず、自分と相手はそれぞれ切り離されている。そのため、本当の意味では自分は他人と情緒的に繋がることはできていない。他人と感情を共有する喜びを知らないともいえる。

自分は他人ではないので、他人の感情機能の働きがどのようなものであるかを知ることはできかねるが、周りを観察する限り、多くの人は他人から感情を向けられるとその場に相応しい感情が自然に湧いてきて、それを滞らせることなく、スムーズに表出できているのではないかと思っている。そこに少しのタイムラグも存在せず、瞬時に出すべき感情を表出して会話を円滑に進めているように見受けられる。

世間一般の人と自分との違いは、世間一般の人は、相手から感情を向けられるとその場に相応しい感情をすぐさま表出できるのに対し、自分は相手に感情を向けられてから感情を出すまでの間に、理性によって人工的に感情を作り出すという過程が必ず生じている。ここが世間一般と自分との大きな違いである。

自分はこうした問題を抱えているからこそ、感情表現が強く求められるリアルの場でコミュニケーションを取ることを回避したいと思うし、感情の発露が重視される飲み会や熱狂的なイベントなんかとはとても相性が悪い。

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。