怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

信用よりもお金がいい話

世の中にはお金よりも信用が大事との言説が広く普及している。それは、お金をたくさん稼ぐよりも、人の信用を集めて信用をベースとした人間関係を築く方がこの先の社会をうまく生き抜いていけるのではないかというものである。

その考えに僕は反対の立場を取っていて、なるべく信用関係に頼らずに生活していきいと考えている。そして出来れば全面的に金銭に頼って生活していきたいとも考えている。僕がこう考えるのは、そうした生活を僕自身が強く希求しているからというよりかは、そうした生活しかできないからである。僕には信用関係をベースにした生活を送ることが難しい。だから、金銭に全面的に依存した生活が理想的である。そしてそうせざるを得ない理由が、また自分の内に存在する。世間で持て囃されている信用関係をベースとした繋がりというのは、結局の所、人間関係の繋がりに重きが置かれている。生きた人間同士の交流が何よりも素晴らしく、価値があるものだと考えられている。そのコミュニケーションの内実は、コミュニケーションの頻度が活発で、感情的なやり取りが中心なものだ。それも生きた人間同士が直接関わりを持つのだから、どうしても関係性は濃密で、持続的な方向へと突き進んでいく。しかし、前述したような特徴を備えている繋がりが自分の肌に合わない。それは自分の理想とする社会のあり方ではない。こう考えるのはいくつか理由がある。それは次のようなものである。

まず最初に、自分が長期に渡って人と関係を築くことが難しい人間であるということ。これは周りの人間に非があるのではなく、自分に責任がある。人と関係を築いたとしても、しばらくしないうちにその関係性をぶった切ってしまいたいと考えて早いうちに人間関係をリセットしてしまうところが僕にはある。別に相手のことが嫌いになったわけではないのだけど、永続な関係性が窮屈で、苦手で、すぐにその関係性から逃れたいのである。頻繁に連絡を取り合ったり、定期的に直接会ったりして関係を維持するのが苦手だ。人間関係を維持する上ではそうした行動を取ることが重視されているのは僕も理解しているが、自分にとってそれは精神的負担がとても大きい。

二つは僕が人と関わることに楽しさや心地良さ、安心感といったポジティブな感情を抱きづらい人間であるということ。人間と関わりを持とうとする人は、少なからず楽しさや面白さ、刺激を求めているのではないかと思われるが、僕にはそうしたものがない。だから、それだけ人と関わる動機も乏しくなり、生活は自己完結的なものになる。この人との繋がりを必要としない性質は、信用関係が重要と主張される社会においては致命的でしかない。自分自身が楽しんでいなければ、周りの人間も楽しい気持ちにならないだろうし、自身の感情や様態、所作振る舞いは周りの人間に影響を与えて、周りをつまらない気持ちにさせるだろう。

三つは、喜怒哀楽の感情を表に出すことが困難であるということ。人は言語的コミュニケーションよりも非言語的コミュニケーションから受け取る印象のほうが大きく、特に表情や身振り手振りの与える印象は絶大だ。会話においては、何よりもこの非言語コミュニケーションが大切で、そうしたところを見てこの先も関係を続けていきたいかの判断が下される。この点からいって、自分はコミュニケーションを取るのに不利な性質を抱えている。信用をベースにした関係性というのは直接人と関わって自分の思いを伝えていく必要があるわけだけど、自分は感情を外に出すことがとても難しいので、そうしたコミュニケーションを重視する社会の中ではうまく生きられない。この非言語コミュニケーションが苦手というのは、社交においてマイナスに働く。表情の変化に乏しい人間は周りから何を考えているのかわからないと思われて、警戒されたり不気味に思われたりする。人間は、何を考えているかわからない人間に対してネガティブなイメージを持つから感情を表に出すことが困難なのであれば、自分がどのような人間であるかを説明することは難しい。その結果、他人とコミュニケーションを取ることが上手くいかなくなるという。

四つは、自己主張する必要性が生じるということ。自分はこういうことができます、こういうことがしたいです、こういう人間ですという主張を掲げて周りに自分をどんどんアピールしていかないといけない。まず自分がどんな人間か知ってもらえないと話にならないし、キャラクター像が不明確であれば、信用を重ねることすらできない。なんにせよその人のパーソナルな部分が全然見えないからどんな人間か把握しづらい。なので、人から関心を持たれにくい。この自分をどんどん前に出していって周りに自分のことを知ってもらいたいという気持ちが僕には少しもない。もちろん人間社会の中で生きていくには少なからず自分を前に出していかないといけないわけだけど、はっきり言って僕にはそうすることがとても苦痛である。そうした欲求がないのに無理に外へ向かって何か発信することは単に自分の精神を疲弊させていくことでしかないから。もちろん無理にそうすることはできる。てもそれは消極的な気持ちからやっているに過ぎず、そこに自然さはない。自然にそうした行動を取っている人は世の中にたくさんいて、自分もああなれたらいいなと思うことはたまにあるけど、そうはなれない。僕には外向機能が働いている部分があまりになさすぎる。こればっかりはどうすることもできない。その自分を受け入れて生きていくしかない。

そうしたわけで、こういった理由から信用を集めることよりもお金に頼った生活をしていくことのほうが自分の性質に合っている。お金がなくても自分をどんどんアピールしていって周りの信用を少しずつ積み重ねていって周りと助け合いながら生きるのも一つの生き方なのだろうけど、やはりそれは自分にはできない生き方である。自分としては、社会や人と一定の距離を置き、社会の片隅でひっそり生きるのが向いている。そして、そちらの生き方のほうが生存率としては遥かに高いのではないかと思われる。

 

 

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