怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

理想のコミュニティ

最低限の情報しか知らない

相手の名前や顔、年齢、性別しか情報を知らない。パーソナルな情報を交換せず、ただ会話をするだけの関係性。自分も相手も互いのことをよく知らず、そのような間柄でも会話が回っていくような関係性が理想的。

 

最低限の挨拶や会話しかしない

おはよう、こんにちわ、はじめましてといった簡単な挨拶や軽い雑談をするくらいで、あとは自分の好きなことをして過ごしてよい。過度に互いの私生活に干渉しあわない。例えて言うなら、ゲストハウスやシェアハウスの共用スペースで、それぞれ好きなことをして過ごす時間を思い浮かべてもらえればいい。

これまで国内、国外問わず、色々なところを旅してきた。その際にシェアハウスやゲストハウスの世話になることが多々あった。そこでは様々な人と同じ空間で生活することがあったのだけど、その状況をそんなに苦にすることはなかった。むしろその状況を心地良いとすら感じていた。それは互いがそれぞれの生活に干渉することなく、付かず離れずの関係性を保ったままでいることができたからだ。その関係性のままそれぞれが好きなことをして時間を過ごすことができる環境というのは良い。ある人は、スマホタブレットで動画鑑賞をし、また、ある人は、昼寝をする。そうやって同じ空間にいても共に何かをする必要のない、自分は自分、他人は他人でいることが許されるような関係性。無理に人と話をしなくても良い空気感。会話をするかどうかの権限はそれぞれの中にある。そうしたところが良かった。

世の中にはなんだかんだ言って趣味や興味・関心事、自分が携わっていきたい問題などを公言して、そうしたものを媒介にして人と関わりを持とうとするのが主流だけど、というより、そうでないと人と関係を持つのは難しいけど、それをせずとも、人間同士が繋がりの持てる場所があってもいいなと思っている。無趣味で、どこかの共同体に属するわけでもなく、また、特定の人とつながりがあるわけでもなく、社会の中で存在しているのかどうかわからないような、地味で目立たない人たち。社会と少し距離を置いてひっそりと生活している人たち。そういう人たち同士が集う場所がもっとあってもよい。しかしそうしたコミュニティは成立させづらいだろうし、成立できたとしてもコミュニティ運営を維持できるかどうかという問題が大きくつきまとう。しかしそうしたコミュニティがもしこの社会にあったとしたら、どんな社会になるのかに少しばかり関心がある。

とりわけ自分を前面に出して、相手に自分はこのような人間であると知ってもらわなくてもよいコミュニティを必要としている人は、母数としては少ないながらも何処かに存在するのではないかと思う。僕自身に関して言えば、そのようなコミュニティがコミュニティの形としては理想的だし、そのような共同体にしか溶け込むことができないなと思う。

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