怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

出口の見えないジャングル

 少し前に地域就労支援センターへ行って就労相談をしてきた。ここへ来たのは、このまま今の生活を続けるのは良くないのではないか、と思ったからである。ここ以外にもハローワークなどの就労機関を色々と活用していて、就労の方向へ向かっている最中である。といっても、それは消極的な理由によるもので、無理にこれらの所へ足を向けているとのが実情である。こうした機関を利用しておいてはなんだが、自分は別に何が何でもしっかりとした職に就きたいという願望を持っているわけではないし、それほど生活に危機感を感じているわけもない。なんというか、他に選択肢がないからこうしたところを利用したというのが正直な心境である。もしこうした機関を利用しなかった場合、誰とも関係を結ばず、人間関係もなく、引きこもったまま人生を終えるのが確定している。そうなるよりかはまだなにか外部の機関をあてにして生活の打開策を図ってみるのも良いのではないかと思った。それでこのような機関を利用するに至ったのだ。

 しかし、このような動機で就労サービスを利用しているため、職員との会話が上手く進んでいくわけもなく、何しにここへ来たのか分からなくなっている自分がいる。こうしたところを利用するとなれば、当然就労に関することを色々と根掘り葉掘り聞かれることになるのだが、それに対する考えを自分は何も持っていない。持っていないから職員もどう対応してよいのかわからず、困惑するしかない。   

 ここは就労意思のある人を強くサポートする機関である。なので、会話の内容は必然的に仕事に関することに限定される。例えば、それは、希望の勤務時間や勤務地、収入、残業はできそうか、転勤はできそうかなどである。しかしそれらの問いに対して分からないですとか何の考えも持っていないんですとしか答えることができない。しかしそう答えてしまうと相手は反応に困ってしまって、自分にどんな言葉掛ければよいのか分からなくなる。そりゃそうだろう。ここは就労を希望する人が利用するべき機関であるのだから。職員の方もここを利用する人は当然就労を希望していると考えている。もしそうでない人がいたとしたら、その人は何しにここへ来たのかと訝しがるだけだろう。とすると、自分は何が何でも就労したいわけではないのではないかと考えざるを得ないわけである。

 自分は就労以前の問題を抱えている。それはアイデンティティの問題だったり、自己同一性の問題だったり、自発性の問題だったりする。それらの問題をクリアした先に前述したような労働条件の問題や今後の展望などの考えが頭の中に湧いてくる。しかし、それらの問題をクリアしていなければ、仕事や生活、キャリアプランについてどうでもいいとしか答えることがない。人生に対して無関心でいるしかないのだ。

 けれども、このような問題は就労支援センターやハローワークなどの就労機関ではどうすることもできない。なぜなら、就労相談や就労支援しか彼らに与えられている役割はないからである。逆に言えば、それ以外のことは彼らの業務外の役割である。なので、自力で何とか問題を解決していくしかない。

 就労したいという意志がない。にもかかわらず、人生に無関心で、今後のプランや考えが何一つ頭に浮かんでこない。そのうえ人間関係がなく、社交にも関心がない。そうすると、何もしないで一人でいるしかなく、どうやって生きていけばよいのかという自問自答が頭の中でひたすら繰り返されるだけである。

 このような状態に置かれているわけだから、何にも手につけることができず、どうやって生きていけばよいのかという解決困難な問いだけが生まれて生活の方向性ははっきりしないものとなる。

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