怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

マレー半島縦断旅① 香港編 

グレゴリーの35ℓのバックパックに荷物を詰め込んで関西国際空港へと足を向ける。身なりから何処か旅行にでも行くのが一目瞭然の格好で、好奇な視線に晒されながら群衆どもの間を潜り抜ける。旅に向かうまでの道中ではいつも自分はこれからどこへでも行けるんだという根拠のない自信や解放感が湧いてきて、その感情を抑えきれなくなる。頭の中では物事がうまく進んでいる状況ばかりが浮かんできて、物事を悲観的に視ることがない。こうした感情は、自分のことを知る人が誰もいないという特殊な環境条件によってもたらされる。

搭乗時刻までまだ随分と時間があったので、近くの書店で文庫本を買って搭乗時間までそれを読んで時間を潰す。買ったのは、沢木耕太郎の「深夜特急」である。べたといえばべたなのだが、知り合いが絶賛していたので、自分も読んでみようと思い手に取った。

旅に出る前からこのような本を読んで今後の生活に影響が生じてはいけないので、本を読むのをやめてしばらくの間、物思いに耽る。自分はこれから一体どこで何をするのだろうか。航空券を買って地球の歩き方やネットの情報で軽く情報収集はした。しかし、具体的にどこで何をするのかまだ決めていない。そうした予定調和的に物事が進むのは自分の望むところではない。少しくらい自分の想像を超えた未知の体験をするほうが面白いのではないかというような気もする。その反面、極度の心配性で自分の思い通りに物事が進まなかったらどうしようかとか、自分の想定外のことが起こったらどうしようかと不安になるところがある。こうした二つの相反する考えがせめぎあった結果、不安感のほうが勝利して予定調和的に物事を進める方向に考えがシフトした。旅に慣れていない間は、大いに旅にまつわる情報を参考にして旅を進めるのが良いのかもしれない。結局自分も沢木幸太郎が東南アジアで旅をしたルートと同じルートを取って旅をすることにした。それがマレー半島縦断旅である。タイのバンコクを起点にそこから南へへりくだって、最終的にシンガポールを目指すというものだ。沢木はシンガポールから北上するルートを取ったが、自分は彼とは反対にタイから南へ下っていくルートを取ることにした。こうしたルート選びにおいてもわずかながら人の影響を受けている。本当は影響を受ける気などサラサラないし、受けたいとも思わないのだが、参考にしているところが幾分かある。これではこの先の旅の展開がどのように進んでいくのかが見えてしまうので、あまり影響を受けすぎてはいけないと自分を戒めながら搭乗ゲートへ向かう。搭乗ゲートにはすでに大きな人だかりができており、出発は間近に迫っていた。

一昔前までは海外旅行は一部の人にしか行くことの許されない特別なものであった。なんにせよチケットが高額で、誰もが簡単にそれを手にすることができなかったからだ。しかし時代の流れは急変し、格安LCCの登場により、誰もが気軽に海外へと足を運ぶことができるようになった。つまり、海外旅行のハードルがグッと下がったのである。これまでは一部の富裕層にしか渡航のチャンスがなかったのに、今では自分のような貧乏大学生が海外に足を踏み入れることができる。こうした状況はあまりに恵まれすぎている。そうしたこともあって、この航空券も破格の値段で手に入れることができた。チケットの価格は往復四万円程と、東京までの新幹線の往復料金より少し高いくらい。距離が何十倍も離れているのに、この価格設定はいかがなものか。

乗り合わせた飛行機内は中華系の人物でごった返していた。右を見ても左を見ても大きな声で談笑している人の多いこと多いこと。周りのことなどお構いなしに口を大きく広げて身の上話をこれでもかという程に語り続ける。とにかく口を開けば、お喋りが止まらない。彼らにはマナーなど存在しないのだろうか。昔見たドキュメンタリー番組で、中国人は家族を大切にし、とりわけ食事の時間を楽しむとナレーターが語っていたが、なんとなくそのことが窺い知れる。この辺りの事情は、一人っ子政策や彼らの国民性が大きく関係しているのかもしれない。向こうからすれば、日本人はなんでそんなに寡黙で自分のことを開示しないのかと訝しがっているのだろうが、そもそも文化や国民性が全然異なるのである。彼らのような饒舌さを自分は持ち合わせていない。がやがやとした中、ろくすっぽ睡眠もとることができず、疲労感を抱えているうちに、航空機は空港に着陸していた。

目的地がタイのバンコクであるというのに、この旅で初めて訪れたのが中国の香港である。香港に立ち寄ることになった経緯は、僕が香港経由の航空券を購入したことによる。直行便のほうが早く目的地までたどり着くことができるのだが、それではなんだかありきたりすぎて面白くない。どうせ海外へ行くのなら、なるべく沢山の国に足を運びたい。そう考えて香港経由のチケットを予約することにしたのだ。

香港はそこらへんの大都市と何ら変わりのない街であった。高層ビルの群れが広範囲にわたって密集し、ビルの大きさが街全体を支配していた。自分にはこの街が東京や大阪と何ら違いのないようにみえた。経済は十分に成長しきっているし、生活インフラも十分に整備されている。街全体がとても発展していて、貧困層が存在するようには見えない。光明が降り注ぐビル群を眺めながら、乾き切った息を吐き捨てて物思いに沈む。人生ゲームのようにサイコロを振って何の目が出るかわからないような事態は起こりえず、あらかじめ予約をし、乗車時刻がきっぱりと書かれた電車に乗り込んで目的地へ着くしかないのではないかというようなことを考え、頭の中が黒いインクで充たされる。特に刺激を感じるような要素は何もなく。高層ビルとその周辺のフェリーを見つめているうちに陽は西へと沈んでいく。マカオまで足を伸ばせば、カジノをして余暇を楽しむという選択肢ももちろんあったのだけど、生憎ギャンブルには関心がないのと無駄にお金を使いたくないのとでマカオへ行くことはなかった。第一まだ旅の序盤である。早いうちから散財していったい何になろうか。後に泣きを見ることになるだけではないのか。こうしたことをごちゃごちゃと考え、思考は同じところをループする。ここにおいても自分の堅実志向や安定志向は明白な形で顔を出す。環境が変わっても、自分の主義思考や物事への捉え方などがいきなり変わるわけではない。そりゃそうだろう、こんな短時間で人が変われば、逆にそのことに驚く。結局、香港では特に何もしなかった。ここで何かをしても、日本の都会で何かをしているのと感覚的には同じだったのだから。そういう意味では僕にとって香港とは、刺激のない退屈な街でしかなかった。

トランジットを含めて12時間の渡航の末に、タイの首都バンコクに到着した。あれだけ環境を騒然とさせた中国人の姿は一気に減少し、ヨーロッパ人や中南米の人たちで周りが溢れかえる。こうしたところからも各国の経済力や成長具合、懐事情、観光目的等を窺い知ることができる。ひとくちに東南アジアといっても地域によって渡航目的はそれぞれ異なる。このことは後に彼らの行動スタイルを観察するうちに明瞭になってくる。

 

 
 

 

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。