怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

ロボット人間

身体が勝手にポンと動いて自然に行動できたらいいなぁという思いにもう随分と長いこと取り憑かれている。感情と行動が一致している状態ほど生活において素晴らしいことはないんじゃないかと思う。

買い物を例に挙げよう。

売り場には実に様々な商品が置かれているけれども、そのどれにも僕は心が揺さぶられない。自分の内部のセンサーが反応して商品を手に取ってカゴに入れるという行為を引き起こせないのだ。スーパーへ行って自分の好きな商品を手に取っている人は沢山いるけど、自分は一生ああはなれないだろうなぁと思う。何かのきっかけがあって、ひょんなことからそうなることはできるかもしれないけど、それは現状からいって望めそうにない。

感情によって商品を選ぶことができないから、理性によってしか物を選ぶことができない。その理性的な判断は、既に頭の中に蓄積されている常同パターンによって指令が下されている。つまり、それはいつも買っている商品を機械的に購入しているだけである。そういう意味では、自分はロボットのような人間である。

どうしてこういった行動しか取れないのか。もしかすると自我が喪失していて、それ故に物事を判断する依り所がないからこのような行動しか取れないのか。もし、そうだとしたらそれはとても恐ろしいことである。

というのも、この先も理性によって、意図的に物事を選択するという行動しか取れないからだ。傍目には物事を選択して行動を引き起こしているように見えても、実際はそうではなく、自分で自分を納得させて物事を済ませるしか選択肢がない。そこには自分の手で実際にそれを行ったという純粋な生活体験が致命的に欠けているのだ。

感情や思考、生活体験などが一致した完全無欠な生活はどこにあるか。手を伸ばしても手が届かない、または、自分の心身には適合しないのか。僕の想像では、全一的な生活というのは、生きることを最大限に実感させてくれる素晴らしいものである。少しはそちらの生活に近づくことはできるのかと考えているが、どうもその生活とは縁がなさそうである。

人はこうしてロボットとして消極的に生活の中を這いずり回るのである。

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