怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

地球上にただ一人

誰かとコミュニケーションを取りたいとか繋がりたいという欲求が全く湧かない。気づいた時には人間に対して働きかけをしない人間になっていた。なぜこのような状態に置かれているのかは自分にもよく分からないが、おそらく今のような状況にならないと社会の中で生存することができなかったからこそこのような状況の中で生活せざるを得ないのではないかと考えている。そしてこの状態は今後もおそらく変わることはないだろうということを薄々ながら感じている。したがって、この先、自分は人間と出会うことはないだろう。それが約束されている。人間と出会うとは、ただ物理的に人と出会えば良いのではなく、主体的に外の世界と関係を持つことを指す。つまり、理性的な考えをなくして、自然に外の世界に引き寄せられた結果、出会いというものが生じなければならない。こうした出会いの形でなければ、それは人間と出会っているとはいえない。

人間との出会いがないということは、この世界には自分しか存在しないような感覚のもとで生活していくしかないということ。それでも一応生活していくことはできる。食事も入浴も買い物も金銭管理も不器用ながらも一人で完結することは十分可能だからだ。確かにそこに他人がいた方が物事が効率的に進むことは考えられるし、自分の負担も減ることは間違いないのだけど、そこに他人を取り込もうという気がない。プライドの問題ではなく、自然に人に何かを求める気持ちが欠けている。だから一人の生活から抜け出せない。ただそうした生活を長く続けることはできない。ずっと一人でいるということは、この世界には他人がいないという感覚のもとで生きていく他ないので、それによりどうしても虚しさが生じる。孤独な生活を続けることによって寂しさや孤独を感じることは僕はないが、この地球に一人しかいないという状態においては当然、虚しさを感じる。

だから人と関わりを持たねばならないと強迫的に考えることもあるのだけど、そうして人とコミュニケーションを取っている自分が好きではない。というのも、それは仮面の連続でしかないからだ。普段の自分は死んでいるのに、生きているように見せかけたり、人間的な部分を全然有していないのに、人間的であるかのように見せかけたりして人と接することは好ましい状態ではない。それはあくまでコミュニケーションが成立しているように見せかけているだけであり、実のところ会話は成立していない。自分は側から見て他人とコミュニケーションを取っているように見えるかもしれないが、実は少しも他人と交わることができていない。けれども、そうしたコミュニケーションのあり方が今後も続くであろうことは自分でも十分理解している。僕はそのような未来にうんざりしているのである。一人でいようがいまいが、人間のいない世界でひとりぼっちのまま生活していかなければならない状態が今後もずっと続くであろうことにうんざりしているのである。虚しさや気怠さ、億劫という感情は、無数の他人が存在する中で、他人と切り離されて自分一人でいるしかないという状態、この先も自分の中に他人が存在することはないという状態の想像から生じるのである。自分の世界には人間がいないのでこの先どうやって生活していけばよいのか全然分からない。

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