怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

自己の希薄さと偽のコミュニケーション

人間は複数の人格を使い分けて生活している。一つの人格だけでは社会の中で生活していけないし、精神的にも疲弊していく。なので、状況や場面に応じて複数の人格(職場や学校での人格、家族といるときの人格、友人といるときの人格、恋人といるときの人格、ペットといるときの人格etc...)を使い分けて生活しているのが一般的である。
しかし、そうした存在の力がプラスに働くのは生活が機能している時に限られる。生活が機能していないときに、そうした存在の力は使えない。むしろそうした存在は自分にとってマイナスにしかならない。というのも、彼らとコミュニケーションを取るときに、仮面を被って接することが余儀なくされるからだ。自然に何かに関心を持ち、自分と同じ関心事を持つ人と自然な形で接するのが、純粋なコミュニケーションの形であると言えるのだが、自分の場合、自己ならびに物事について関心が希薄すぎるため、人間と出会い、コミュニケーションを取るという段階にまで達することができない。要するに自己が希薄すぎるのだ。

本来、自分以外の対象は、自分が生活する上で大きな力となるものだ。しかし、自己が希薄すぎて他人と関係を持つことができない人にとって見れば、関係を持つ上で仮面を被ってやり過ごす度合いが大きく、生活する上での支えにはならない。自分としては、そうしたコミュニケーションの取り方は難しく、他人と関係を成立させるために強迫的に物事に関心を持つというやり方でしか人とコミュニケーションを取ることができない。純粋な形で人間と出会い、コミュニケーションを取ることは今後も出来そうにない。だから、仮面を被って偽のコミュニケーションを通して生活していくしかないのだと思う。

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