怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

どこに居場所を見出すか

昨日は大きな倉庫で仕事をしてきた。仕事を始めてすぐにこの仕事を続けるのは難しいだろうなぁと思った。その理由は以下の通りである。

一つは、視覚的な情報を素早く処理する必要があってそれが苦手なところ。そしてそれも一つの事だけやっていればいいのではなく二つのことを同時にやる必要がある。それも素早い速度で。

やった仕事はダンボールの梱包作業である。ラベルに表示された番号を見てそれをしまうのに相応しいダンボールを選び取り、そこに荷物を入れて梱包していくという作業なのだが、これは視覚的な情報を素早く処理する必要があって、目と手を同時に動かすのが苦手な自分にとってとてもきつかった。こうした目で情報を捉えて手先で何かをする作業が苦手である。具体的に言うと VS 嵐のボーリングスナイパーとか虫あみで虫を捕まえるとか音ゲーとかがその好例である。どれも目と手で物事を処理する必要があって難易度が高い。物事をテキパキと処理することができないんだよね。何か一つのことしかできない。


もうひとつは仕上がりの細かさ、丁寧さが求められるところ。ダンボールの蓋をガムテープで止める必要があったのだが、こうした一見簡単に見えるような作業が自分にはとても難しい。というのも、手先を上手く扱えないので丁寧に仕事を完遂させることができないのだ。それから無駄な動きも多く、時間をやたらとかけてしまう。実に効率の悪いやり方である。
周りはこんなのできて当然といったようなスタンスで接してくるので、そうした態度に非常に困惑している。
こういう誰でもできて当然みたいな仕事ができないんだよなぁ。
まさかこういった仕事をするとは思ってなかったので、そのギャップに驚いている。入社前は荷物をひたすら運ぶだけの体力系の仕事だと思っていた。募集要項にはそのように書かれていたと記憶している。しかしそうではなく、実際にはマルチタスクが求められた。これはこの仕事に限ったことではなく他でもそうで、幅広い作業をそつなくこなせないと認めてもらえない。そうした評価を得るまでのハードルというのは自分にとってとても高い。

じゃあそうしたことができるようになるまで努力する必要があるのかというとそうは思わない。例えば、一生懸命ダンボールにガムテープを貼る練習をしたとして、他の人と同じように仕事をこなせるようになるかというとそうでもない。手先の器用さや細かい作業が得意というのはある程度生まれつき決まっているところもあるだろうから、努力してできるようにする必要はないと考えている。いくら頑張ったところでせいぜい人並みにできるようになるだけだろうし、であるならば、それはできる人に任せれば良いだけのことだ。それなら自分に出来そうなことに時間を回した方がいい。

といって他でカバーできることなどない。なので何か自分にできそうなことを見つけて生きていく他ない。その役割というのが一体どこにあるのか、考えどころである。どこも窮屈で自分の居場所となるような場所がない。もし見つかったとしてもそれは肩身の狭い場所であることは否定できない。

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。