怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

自分の身を捧げるということ

普段そんなにアニメを見ない自分ですが、最近東京リベンジャーズとリライフという作品を立て続けに鑑賞した。両作に共通するのが過去にタイムスリップして人生をやり直すというもの。大切な人を守るだの青春やり直すだのというテーマを引っ提げて物語は進行していく。これらの作品に限らず、最近はこうした作品が巷にあふれているように思う。

創作主はなぜこうしたテーマを題材にして作品を生み出すのだろうか。それはやはり拭い去れない思い出が頭の片隅にあって、ふとした時に当時のことを思い出し、一度過去にタイムスリップして人生をやり直したいという欲求が今なお心の中に強く残っているからだろうか。
ケミストリーのsolid dreamという曲にこのような歌詞がある。

繰り返し刷られてく 街の画の 
隙間に 挟み込まれてる
思い出が痛い

大事なモノは抱えきれず 
零しても 壊しても 振り向かず歩いてきてる

大事なものというのは後になってからでないと気づかない。その当時は大事なモノが何であるのかも分からないし、日常がマンネリ化してしまえば、大事なモノは影に隠れ、ますます表に出てこなくなる。もしその当時にそのことに気づいていれば、のちに後悔という感情は生じない。後悔というのは、一見無駄で、代り映えのしない日常の蓄積の中にあるものだから。

自分の学生生活はどうだったか。昔の自分は学生生活を楽しもうという気持ちに欠けていた。一度きりの学生生活を思う存分謳歌しようとか、季節のイベントごとを大切にしよう等という考えは僕の頭の中には全くなかった。別に人生に冷めていたわけではない。よくある「文化祭なんてくだらねぇ」などといったように、どこか捻くれた気持ちで周りを見ていたわけではなく、単にそうしたものに関心が持てないでいた。それでもイベントごとを楽しみにしている生徒は沢山いて、彼らと自分との熱量の違いというのを自分はいつも感じていた。なぜ周りはそんなにイベントごとが大切なのだろうかといつも疑問に思っていた。そのイベントとやらも単なる日常の一コマでしかないのではないかと。これはもう元々双方の人種が異なる人間というだけのことであって、もし仮に過去に戻ることができたとしても、自分はそうしたイベントごとを再度楽しむことはないだろう。

月並みな感想ではあるが、人が物事に必死で取り組むことができるのは、そうした大切な存在や守りたいもの、失いたくないものがあるからだろう。それが燃料となり、人々の心にやる気や、必死さ、懸命さ、強い愛着、執着心、嫉妬心、支配欲、独占欲などを芽生えさせる。やはり人間は自分のためだけでは頑張り続けることができず、何か自分とは別の強い存在が必要なのだ。それが人間であるということ。

最後に激しい感情を出したのはいつだったかというようなことを考えながら、自分も一瞬だけ過去にタイムスリップして当時の思い出の一コマを振り返った。

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。