怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

学習法とはなんぞや

マンション管理士試験を受験してきた。初回から想定外の問題ばかりが出題されて戸惑う場面が多かった。特にマンション管理適正化法や標準管理規約、区分所有法の分野は理解が不十分だと感じた。一方、建築基準法や設備、維持の分野は一週間前から試験直前まで繰り返し学習していたので、比較的容易に回答することができた。民法はいつも通りの出来栄えであった。

マンション管理士の勉強法については、試験の直前まで悩みに悩んだ。というのも、自分の勉強法が正しいとは思えなかったし、知識がしっかりと身に付いている感覚もなかったからだ。だから、このまま今のやり方を続けていてよいのか疑問であった。

例えば、過去問を中心に勉強するのはよいことなのかというようなことをずっと考えていた。一応過去問を中心に勉強するようにはしていたが、それは本当に正しいのか常に懐疑的だった。自分としては過去問を何度も繰り返し解いても、単に答えを丸暗記しているような気しかしなかったからだ。数字や名称を暗記するだけではダメなのだ。しっかりと理屈でもって内容を理解できるようにならないといけない。インプットした情報を自分の言葉で上手く説明できるようにならないといけない。そうでないとそれはまだ内容を理解しているとは言えない。だからといって、テキストを読み込むだけでもいけない。頭の中で要約したり、自分が理解しやすいように言い換えたりしながら学習しなければそれは単に文字を追っているのと同じである。テキストを読むからには内容をしっかり理解しなければならない。過去問の分からないところはテキストを参考にして理解を深めるとあるけど、単にテキストを読み込むだけではなかなか頭に入ってこない。テキストの内容を一度頭の中に取り入れてそれを噛み砕いて自分の頭の中で整理していく。そしてその後、アウトプットという作業を行う。こうした過程を経て知識というものは体得されていくものだと実際に勉強してみて感じた。

勉強法というのは本当に分からない。自分に合った勉強法を見つけるには自分の得手、不得手を把握した上で、様々な試みを増やさないといけない。そうした過程を経て自分に合った勉強法というのが確立されていくわけだけど、それでも試験当日まで半信半疑のまま進んでいく。こういうものは他人のアドバイスはあまり参考にならない。というのも、自分と他人は能力や性質、物の考え方なとが全く異なるからだ。誰一人として自分と同じ人間はいない。だからこそ勉強法というものは自分で確立していくしかないのである。

色々と勉強のやり方を試してみて最も自分に合っていた思われる学習法は、書いて覚える学習法だ。これが自分にとって一番効率の良い勉強法だったと思われる。実際に白紙の紙に学んだ知識を図や表で整理してみると、想像以上に知識が整理されていて驚いた。アウトプットすることが大事なんだなぁと改めて認識した。でも書いて覚えるといっても、テキストの内容を理解していないとうまくノートやメモにまとめることはできない。ノートやメモにまとめることができるということは、ある程度内容を理解しているということ。それすらできていないとノートやメモに情報を整理することはできない。テキストの内容が理解できなければ、単にテキストに載ってある文字を書き記すことしかできない。そういう意味では勉強しながら学習の難しさというものを常々感じていた。

試験の出来不出来よりも、学習するとはどういうことなのかを考え、そちらにばかり関心を示していた試験勉強だった。

当ブログの文章や画像を無断で転載することは厳禁です。もしそうした行為を働く者がいた場合、然るべき法的措置を取らせていただきます。