怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

普通の部屋で生活することの難しさ

普通の部屋で生活するにあたってまずすべきなのは、必要なものをリストアップすることと間取りや収納方法を考えることである。このステップを踏むことで生活というものが確立されていく。

 

僕は最初の段階で躓いている。まず生活に必要なものが何なのか分からない。数枚の衣服と食糧と日用品があれば生活は回っていくのだが、それ以外に何が必要なのか考えると何も思い浮かばない。本当に服とかいつもと同じような服を着ていればいいし、新しい服が欲しいとか思わない。実際、毎日同じような服を着て過している。食事に関してもそうで、毎日同じメニューでも構わない。何か他に必要なものはないかと考えると何も思いつかない。これらのものさえあれば生活は回っていくし、生活する上で特に支障は生じない。


それから間取りの問題である。必要なものが揃ったとしても、適当にその辺に置いておくわけにはいかない。どこに何を置くかを決め、定められた場所にきちんとモノを収納しないといけない。そうしないと部屋がぐちゃぐちゃに散らかってしまう。そこそこの広さを誇る部屋の中をどうカスタムしていくか、どんな部屋にしたいかを考えてみても何も思い浮かばない。理想の部屋とか、こんなものを部屋に置きたいとかいう願望が一つもない。そんなわけで間取りを書こうにも書けないでいる。


それで生活に必要なものや理想の生活像というものが自分にないのは何故なのかと考えてみると、生活に関心がないからだという考えに行き着いた。生活に関心がない。身の回りのことにも拘りがない。それだから思考が止まったまま何もできないでいる。


生活環境に気を配っている人は沢山いるけど、自分にとってはどうでもいいことだ。間取りや収納、香り、色の統一性、効率性、デスク周りの作業環境。全部どうでもいい。そうしたわけで普通の部屋で生活することは自分にとってとても難しい。必要最低限のものしか揃っていない、狭くて小さい部屋の方が自分に合っているのかもしれない。自分は三畳一間の汚い和室部屋で生活したことがあるが、ここでの生活の方が今の広い部屋での生活よりも暮らしやすかったと思う。

騒音や衛生面などの問題は一切抜きにして、単純に過ごしやすいという意味でこの言葉を使っている。これくらいのスペースで生活に必要なものしか置かれていない環境の方が生活に煩わしさを感じることがなかった。何しろ狭くて最低限のものしか置けないから何も考える必要がない。間取りや収納のことを考えるのが苦手な自分にとってここは理想的な環境であった。

生活について重視するものや必要なものが分からない人にとって普通の部屋で生活することは簡単にできることではない。自分でイチから生活を築いていくのはとても難しいのである。

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