怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

ルポ西成

文中から自尊心の高さや陶酔心の強さが伺える。自分はここに出てくるような人たちとは無縁であるという選民意識が文章全体から感じ取れる。

さて、西成にいる人たちは、まともでない、ろくでもないといった記述がたくさん見られるが、ホームレスにはやはりそのようなイメージが付き纏うのは必然の掟なのだろうか。逆に言うと、まともな人間とはどういった人間を指すのかということになる。

衣食住を満たすことのできる人、正規で雇用についている人、週五日八時間働いている人、体が健康である人、病気や怪我をしない人、周りとうまくコミュニケーションが取れて人間関係を維持することができる人、一つの会社に長く勤めることができる人、身の回りのことをきちんとこなせる人、収入の範囲内だけで生活のやりくりができる人、放蕩に耽らない人、浮気をしない人など解釈はいくらでもできる。

確かにホームレスや麻薬常習者、ムショ上がりと聞くと、先入観から負のイメージを持ってしまうのは避けられまい。人は第一印象で人を判断するのだから、どうしてもそのような印象を持ってしまう。しかし、そうした人たちにも様々な背景があって今がある。そこを自ら語りたがらないだけで、何か大きなバックグラウンドが潜んでいるのかもしれない。

僕は、人間の生き方を一括にして語ることには無理があると思っている。個人の性質や能力、置かれた環境などはそれぞれ異なるのだから、それに応じて人の生活もそれぞれ異なるのが当たり前である。なので、ある基準を設けてそれから外れた生き方をしている人をマイノリティとみなすその考え方そのものが間違っている。これが一般的な生き方ですよといった物差しは存在しない。基準はそれぞれの心の中にある。生き方に正しいもクソもなく、日本人に限って言えば、一億二千通りの生き方がある。そうでないと何だか気味が悪い。ライフスタイルが画一化されているのは健全な社会ではない。

自らホームレス生活を志向したのか、そうでないかはさておき、ホームレスの人たちも立派に人生を歩んでいる。ただ、それだけのことである。

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