怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

感情表出の特異性

人と人との会話は、話の内容そのものよりも、会話からどれだけ表情が変化するかのほうが重要である。表情からどれだけ相手の感情を読み取れるかによって会話が弾むかどうかも決まってくる。楽しい話をしている時に楽しそうな顔をしていなければ、相手はその話をつまらないと思ってしまうし、悲しい話をしているときに悲しそうな顔をしていなければ、相手の悲しみにいたく共感することもできない。つまり、同じ話の内容であっても、その話の内容に相応しい表情が見られるかどうかによって周りの反応も変わってくる。なので、表情をうまく使いこなせる人ほど、会話の面では有利に働く。

 

自身に関して言えば、この感情表出の働きが上手くいっていない。高校の頃から、このことを自覚していた。ある一つの体験をして、他人と感情を共有することが難しいことに薄々ながら気づいていた。相手から感情を向けられてもそれに即応できないのだ。


自分の感情表出の形は以下のようなものである。


それは前もって感情を用意しておくというもの。あらかじめ喜怒哀楽の感情を自分の手で作り出し、人と接するときにそれを用いて対処するというやり方である。


例えば、ポジティブな感情を作りたかったら落とし穴に落っこちているところなんかを想像して楽の感情を作る。ネガティブな感情を作りたかったら、人が亡くなっているところや事故に遭って苦しんているところなんかを想像して哀の感情を作る。そして、相手とのやり取りの中で自分で用意した感情を、表情を通して伝える。


これは一見相手の感情に対応して二人の間に感情の共有が生まれているかのように見えるが、実はそうでない。自分の表情はあくまで自分で作ったものであって、相手の反応を受けて生まれたものではない。なので、互いの感情は打ち解け合うことなく、それぞれ独立している。


こうしたように純粋な感情表現を用いたコミュニケーションというものは、自分と相手との間に成立していない。

相手と同じ時間を共有しているにも関わらず、感情の共有なんてものは最初から最後まで発生していないのだ。はじめからそれぞれの感情は分離していて、合一していないのが自分のコミュニケーションである。

 

 

 

 

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