怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

自己表現のバカバカしさ

まず生きるというのが先にあって、その手段としてみんな言葉や文字、数字、記号、声、表情、動作、音楽、絵、動画、ダンスなどを通して人と繋がりを持とうとする。


ある人は、自社の魅力を伝えるためにユーチューブで自社のPR動画を投稿する。またある人は、普段、自分がハマっていることをみんなに広く知ってもらうためにSNS上で文章や動画をアップしてその魅力を伝えようとする。また別のある人は、趣味などを持っていて、自分と同じ趣味を持つ人と繋がるためにSNS等を利用する。みんな目的ありきだ。目的があってその手段としてそれらのツールを使っている。


ここでは明確な目的があってその手段としてSNS等を使う人を取り上げたが、これは別に何も明確な目的を必要としなくてもいい。様々な欲望を満たすためというのも立派な自己表現の動機である。


例えば、自己顕示欲を満たしたい、承認欲求を満たしたい、多くの人からチヤホヤされたいというのも立派な動機である。


しかしそうしたものがないのであれば、何のためにそれらのツールを使って自分を表現しようとするのか。いかなる動機から他人に何かを訴えかけようとするのか。前で述べたような事柄にまったく関心がないのに、ただ生の領域にいる人たちに少しでも近づきたくて、何もない空洞の中をあれこれ探し回って言葉や他の何かを用いて無理に何かを表現しようとするのはバカバカしいのではないか。別に心の底から他人と繋がりたいわけでもないし、自分に関心を向けてほしいわけでもない。ただ、虚無に抗うためだけに他人の存在を必要とするのは自分勝手で、傲慢で、愚かなことではないのか。


生きているならまだしも、「生のない」生活空間のなかでのたうち回りながら、無理にアウトプットをして人と繋がりを持とうとするのは間違っていると自分では思っている。だけど、それをしないと一人の世界に留まることしかできなくなる。そこから出ることが許されなくなる。だからこうして言葉を綴って少しでもそちらの世界に近づこうとする。

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