怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

自分の居場所のひとつ

僕は自分のためにブログを書いている。ここには誰かの役に立つようなことは一切書かれていない。本来ブログとは、自分の好きなことを好き勝手に書く場所であるからそうした使い方をしていることもとりわけおかしなことではない。

だったら自分のノートにでも書いていればいいじゃないかという批判は当然あると思う。わざわざインターネット上に自分の考えや心情を書き散らす必要はないのではないかと。これまでの自分がそうだった。これまでは自分しか見ることのできないノートや文書ファイルに自分の考えや思いの丈を綴っていた。しかしそれは違うのではないかと思うようになった。そうすると他者の視点というものを失ない、生活は自己完結的なものになる。ベクトルが外へは向かず、徹底的に自分で自分と対話をするという形しか取れなくなる。個人単独で行動が完結してしまえば、そこに変化は生じない。なので、自分以外の対象の視点を確保する必要があるのではないかと考えた。そうした考えからこのブログが始まった。

インターネット上に文章を書き記すことで、誰かが見てくれるという可能性がある。それは例え一人だけであったとしても、自分以外の人間が自分の文章を読んでくれているという大きな事実がある。その一人というのが自分にとってとても大きいのだ。アクセス数が0か1かという違いでしかないにしても、自分の書いた文章に他者が間接的であれ介入してきたという事実が自分にとってとても大きな出来事なのである。他人の視点を確保する手段は文章を書く他にもいくつか手段はあるが、今の自分に最もできそうだったのが文章を書くことだったので、とりあえずブログを始めてみることにした。

しかし実際にブログを始めてみて、これを続けるのは難しいなぁと思った。それは僕が意識的にしか文章を綴ることができないからだ。これはブログに限らずTwitterやInstagram、Facebook といったようなSNS でも同じことである。自然にブログやSNS に何かを綴りたいと思うようなことがない。無理をしてでもないと、とてもこういったメディア媒体に何かを認めることができない。

では書くのをやめたらいいのではないかという声もあるが、そうすればまた自分の内的世界に閉じこもったままである。自分の世界から抜け出せなくなり、この世界には自分しか存在しないまま生きていくしかなくなる。だから僕は無理をしてでもインターネット上に文章を書く。

周りの情報発信している人間を見てみると、そんなに無理をしてブログやSNSで活動しているわけではなさそうである。自己アピールや伝えたいことがあるからこそやっているのだろう。本人の方からしてもそんなに無理をしていないのではないか。まぁ実際に本人の心境を知らないので自分は何とも言えないのだが。

いつまでブログが続くかは分からないし、出来るだけブログを続けていきたいと考えるが、いかんせん書くネタがない。それは自分の生活が平凡で、変化に乏しいからだ。自分としてはあまり更新頻度とか内容だとかを気にせずに、自分のペースで無理のない範囲で今後もブログを書いていければなと思っている。

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