頭を使うことから逃れて生活したいとき、人は現実逃避として遠くに出かける。目的地を定めずに、とにかく遠くまで行って思考しない状態を状態を意図的に作り出す。それもすべては考えるという行為から逃れるためである。
またしても目的もなく遠くへ来てしまった。訪れたのは和歌山県の最南端に位置する白浜だ。通常、旅とは目的を持って行動するものだが、自分の場合、その目的というものがない。生活において目的志向性というものを欠いており、行き当たりばったりで行動することが多い。それも何もしないで呆然として過ごす時間から抗うためといったように・・・。目的があれば、それを実現するまでのプロセスが自然に自分の頭の中に生じ、それに沿った行動を自然に起こせるようになる。それが自然な形であって、人は目的に沿って日常生活を遂行している。逆にいうと、目的というものがなくなれば、人の行動は一貫性のないひどくバラバラなものになる。衝動性や無動機性が行動の中心作用となり、目的意識を伴わない非常に無為なものとなる。それはまさに何しにここへ来た状態である。
目的が持てればそれに越したことはないが、自分にはそれがない。綺麗な海を眺めたいとか、有名な観光スポットに足を運びたいとかいう、人間ならば誰しもが持っていてもおかしくなさそうな欲望が一切ない。それでもどこに行くかを決めなければならないので、和歌山県の中で比較的知名度があった白浜を選択した。そこにはまだ自分が関心を持てそうな「海」があったからである。
同じ関西地方といっても、大阪府と和歌山県は距離があり、両地域を行き来するには結構時間がかかる。大阪府の地図を見ると分かる通り、大阪府は南北に長い地理的特徴を持つエリアである。南北に長いということは、北から南まで移動するのに時間が掛かるということである。大阪北部から大阪南部まで移動するには、下道だと3時間弱、高速だと2時間弱かかる。大阪駅から和歌山県の入り口付近に存在するイオンモール和歌山辺りまででも下道で2時間15分ほどかかる。これが白浜町まで移動するとなれば、移動時間はさらにその倍かかることになる。とはいえ、移動時間に飽き飽きすることは全くなかった。なぜなら、それまでの道中には海があったからだ。府道29号線(通称:臨海線)沿いには二色浜公園や樽井のサザンビーチ、マーブルビーチ、りんくう公園などが存在する。そのため、この道を経由して走行すれば、広大な海を見ながら和歌山まで向かうことができるのだ。
夏の強烈な日差しと熱を帯びた湿気の少ない風が、自分の全身を激しく吹き付けてくる。熱を帯びたアスファルトの上には弱弱しい姿をしたミミズが路上に這いつくばっており、その姿態はまさに夏という季節の気だるさを代弁しているかのようだった。大型車や普通車に混じって車線の流れに乗っている時や自分の真横を並走する車に対抗してバイクを走行している時、ライダーは強い権力を手にしたかのような錯覚に陥る。そしてその錯覚が頭の中で支配的なものとなり、それが自由の道へと繋がっていく。これこそがバイク乗りがバイクを愛してやまないところでもある。
陽が沈みかかったころ、イオンモール和歌山付近をバイクで走らせていた。気づけば大阪府から和歌山県に入り込んでいた。お腹もグーグーとなり、結構な時間が経っていることを思い知らされた。和歌山県と聞いて真っ先に思い浮かべるのが梅干しやミカンではなかろうか。そのみかんにちなんだルートとして、みかん海道と呼ばれるルートが有田市に存在する。クネクネと曲がりくねった山道で、長さは5.6キロもある。ここは徳島県に近く、西部方面からは徳島県の市街状況も概観できそうな感じがする。みかん街道を走り始めてものの数分。何度も峠道を上がったり下がったりしているうちに気持ちもハイになり、自分がどこまでも羽ばたけるという全能感に思わず浸ってしまった。また、別の感情もわが身に激しく襲い掛かってきて、魂が抜けきったかのような強い脱力感を思う存分味わうことにもなった。バイクとはそうした全能感や高揚感を脳に与える、一種危険な乗り物で、その感情に没頭していることによって追突事故やわき見事故が発生する側面がどうしてもある。こうした観点からいうと、人間の脳を強く刺激して、ヒトに様々な期待や可能性を持たせるところは、一種の麻薬状態であるといっても差し支えない。
旅行に出かけたとき、その土地名物の料理を食べたいと考えるのが普通だろう。そう、所謂、ご当地グルメツアーというやつである。和歌山県にも当然、ご当地グルメなるものが存在する。その代表的な例としては、みかんや梅干し、和歌山ラーメンなどがある。なかでも自分は和歌山ラーメンにわずかながら関心があった。ジャンル問わずラーメンが好きだし、お気に入りの店が見つかれば定期的に通い詰めるほどの愛好家でもある。その魅力を語ろうと思えばいくらでも語れるのだが、それは自分と同じくラーメン好きな人にしか通じない話なのでここでは多くは語らない。そんなラーメンは食べ物の中でもひときわ魅力的な食べ物だ。そのラーメンを食さないと、せっかくここまで来た意味がないのではないかと思った。それで、辺り構わず和歌山ラーメンを提供する店を探索したが、あいにくその店は見つからなかった。どこかしらに和歌山ラーメンを提供する店があってもいいのではないかと思われたが、自分の走行範囲内にはそうした店が全く見当たらなかった。ならばGoogleマップを使って近くのラーメン屋を捜す考えもあるにはあったが、そこまでしてラーメンを食べたいとは思わなかったので、結局、いつもの通り、チェーン店(今回は牛丼屋)でユッケ丼を食べて簡素に夕食を済ませることになった。
真っ暗な道を明るいライトを照らして走ること数時間。21時に白浜に到着した。浜辺には天使の笑顔のように燦燦と光り輝く日光もなければ、人っ気も一人もない。暗雲立ち込める中、静々と滴り落ちる雨音を浴びながら一人ぽつんとそこに取り残された。