フジテレビのドラマ、ビーチボーイズを鑑賞しました。普段、ドラマはあまり見ない自分ですが、このドラマは最後まで観てしまった。
このドラマでは特別なことは何も起こらない。平凡でごくありきたりの日常を切り取ったものでしかない。しかし、その何でもなさが、反って人の心を動かすようになっている。
このドラマを見始めた頃は、ただ海の家での日常をダラダラと描いたものでしかないと思っていたけど、回を追うにつれて、実はそうしたものを描きたいのではないということが何となくわかってきた。
このドラマが伝えたかったことは、日常の中に大切なものが潜んでいるというメッセージだったのではないかと、鑑賞した今にして強くそう思う。日常の中に大切なものが隠されている。だけど、それは世間体や見栄、SNSなどでの評価至上主義、時代の流れなどによって気づかないような仕組みになっている。
反町隆史演じるヒロミと竹野内豊演じるカイトは、互いに「無職」という点で共通している。ヒロミはフラフラしながらここへ来て、カイトは会社を辞めてここへ来た。一応、海の家で働いているという設定ではあるが、「無職」という身分であることに変わりはない。そういう設定として二人は扱われている。
無職というのは、社会の中から見た肩書や立場という評価軸から外れている。評価する材料がないから、その人間を評価しようもない。通常、社会の中で人と溶け込むとなると、自分の欲求を抑え込んで生活しなくてはならない。そして、他人の目から見た自分という立場を強く意識しながら、行動する必要が出てくる。特に今の時代、SNSなどが広く普及したため、他人の目から見た自分というものを意識しながら生活しなくてはならないので、純粋に自分の欲求に従って行動するのが難しくなっている。どうしても他人という存在がチラついてしまって、自分の考えだとか価値観だとかを優先して生活することが難しくなっている。しかし、この二人は、そうした肩書や社会的地位、役割などがないから、自由でいられる。この二人が自由でいられることが重要なのではなくて、自由に振舞っているその姿をテレビを通して多くの視聴者に伝えることが大切なのであり、そこがこのドラマの肝な部分ではないかと思うのだ。