怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

デュルケーム 自殺論

デュルケームの自殺論を読了。

デュルケームの専業は社会学であるが、僕は社会学について何も知らない。いや、社会学のみならず、様々な学問についての知識が無さ過ぎる。なので、本書の内容をほとんど理解することがてきず、何とか食らいついていったというのが正直な感想である。この本に手を出すのは今の自分には早すぎた。

彼はこの本で様々な引用データを用いて、社会的要因が自殺にどのような影響を与えているのかを述べている。終始一貫して社会的要因と自殺の関係性を述べており、それ以外の要因から自殺を説明してはいない。

懇切丁寧に膨大な量のデータを提示して説得性のある論文である。自殺の問題を宗教から気候、環境問題、集団主義など様々な立場から社会的に自殺を捉えていて、筆者の自殺と向き合う熱量が物凄く感じられる。けれども、完全に社会的な要因から自殺を説明することができるのか疑問を感じる部分もあった。それは、そこにはわずかであれ個人的な要因が関与するのではないかという考えだ。どんなに社会的な立場から問題を捉えようとしても、個人的な要因が少なからず絡んでいるのではないかという反論が浮かんできた。この点に関してはデュルケームも僅かであるが、そのような書き記しを残している。

デュルケームは自殺を以下の四種類に分類した。

  1. 自己本位的自殺
  2. 集団的自殺
  3. アノミー的自殺
  4. 宿命的自殺
  • 自己本位的自殺

これは他人や社会との関係性において自分の存在価値や評価を気にすることよりも、それらと距離を置いて自分の世界に籠って自分の生活が満たされていればよいという自分軸を基準にした生き方である。他人や社会との関わりをシャットアウトしてひたすら己の内面と向き合うことになるので、自分で自分を奮い立たせることができなければ、虚無が肥大化して自死を引き起こしたりすることは大いにありうる。やはり人間が社会の中で生きる以上、他者や社会の評価なくして生きることは困難なのだろう。

  • 集団本位的自殺

自分よりも他人や社会を優先して物事を考え、社会や人の役に立てないと分かると自己嫌悪に駆られて自殺を引き起こしてしまうタイプ群。自分よりも外部の世界が何よりも大切で、何としてもそちらの世界に自分を擦り合わせていこうとする。これには弊害があって、そうすることで自分というものがなくなっていき、気づけば自分が何をしたいのかわからなくなってくるというものである。就職活動やテロやデモ活動といったように、群衆が一つになって共通の目的に向かっていくことが求められる時にこのような行動様式を人はしばしば取る。

  • アノミー的自殺

社会が成熟して生活が豊かになり、選択肢や自由が増えると、その可能性の大きさ故に何をすればよいのかわからなくなってしまう。生活は便利で快適なものになるけれど、苦悩を引き起すきっかけとなる。自由や豊かさもほどほどがよいのだろう。

  • 宿命的自殺

集団的自殺と似ていて、国家権力や大きな組織がルールや法律を設けて個人の行動を縛り付け、個人に巨大な組織に仕えることを要求する。個人の行動を管理・抑制し、すべては国のため、社会のための行動をとるようように人間を規律化していく。


個人の感想

自殺というのは、地面に片足立ちの状態で、そこに何らかの環境要因が加わることによって性に傾くか、死に傾くか決まってくるものだと思う。棒立ちの状態でなんとか耐え凌げば生に傾いたことになり、反対に転べば死に傾いたことになる。

しかし、生と死を分かつ決めては何なのか。これは自分にも説明できない。どんなに困難で救いのない状態に置かれていても、未来にかすかな希望を抱いているからこそ、生の領域に留まり続けようと思うのか、それとも生きることへの未練のなさや面倒臭さ、逃避が死の選択へと駆り立てるのか。

僕は自殺について肯定的な立場でいる。自殺に対して否定的な見解はない。というのも、個人がどう生きるかは個人が決めるべきだと考えているからだ。

人々はよく自分の人生を好きに生きろと主張する。この言葉の中には人に迷惑をかけなければという但し書きが包含されていて、そうした言葉は個人の行動を抑制する力を持つ。人に迷惑をかけなければという言葉がどこか頭の片隅に存在するのであれば、周囲の人間の顔ぶれがチラつき、自殺を思いとどまってしまうことがある。本当は自殺が自分の人生でなし得たい願望であるかもしれないのに。とすれば、自殺を決断した個人を尊重すべきではないのか。自殺するときに限って、この言葉が適用されないのはどこか矛盾しているし、個々人の都合に振り回されている。自分で何かを決断するということは究極のところ、他人を傷つけることでもある。他人の意に沿わない行動であれば、他人から否定や糾弾されることは避けられないからだ。しかし、他人のことを考える以上、自分の人生を生きることは難しくなる。この世で生を享受したからには自分で自分の生活をコントロールしなければならないと思っている。だからこそ、自分で考えたあぐねた結果、自死を選ぶのは間違ったことではないと考える。

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