怠惰な生活を送る青年の日記

社会の片隅でひっそり生活しています。

自分の言葉を大切に

書店に行くと、多くの人に読まれやすい文章術とかフォロワーをたくさん獲得するための文章の書き方とかという本を目にすることが多い。時代はどんどん変化していて、文章を書くことにおいてすら他者や社会の目線を意識し、社会的に意義や価値があるものでないとその存在価値すら認められない時代になった。

僕はこういった本の影響を受けて文章を書きたくはないなと思う。なぜならそこには自分が含まれていないからだ。自分がどこにいるのか、文章から全然分からない。自分の姿というものが文中から見つけることができない。

どれだけ読んでくれる人が少なくても、僕は自分の言葉で文章を綴りたい。

しかし、今の時代、そういうのは難しかったりする。読んでもらってなんぼ、注目されてなんぼの世界だから、適当に文章を書き殴るというのも難しくなった。もう自分の好きなように何かするというのは難しいのかもしれない。文章のみならず他のことにおいても、他者や社会によってそれをするように要求されている。自らの行動が外部の存在によって大きくコントロールされていて、フォロワー数の獲得やお金を生み出しているかどうかに焦点があたっている。最終到達地点がそこなのだ。とにかく社会的に意義や価値のあるものでなければならない。そうでなければ自由に文章を綴ることすらできない。

どれだけ表現が拙くても、自分の言葉で綴った文章というものをやはり自分は読みたい。そうしたものに魅力を感じるし、自分が関心を引かれるのも、自分の姿が文中にあって、その輪郭像がくっきりしているものである。

そうした文章というのは自分の中にメスを入れ、かさぶたのように簡単には剥がれないものを自分に与えてくれるのだ。

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